『戦国秦漢時代の都市と国家』

江村治樹『戦国秦漢時代の都市と国家』(白帝社)
地味な本だなあと思って、後回しにしてたんですが、読んでみるとけっこう面白かったです。テーマがはっきりしているので、ストンと肚に落ちるんですね。

第一章 戦国時代の都市の発達
春秋時代の都市は一辺一キロメートル未満のものがほとんどだったけど、戦国時代になって規模の大きいものが増えたよ。一辺二キロメートルを超えるものも出てきたよ。秦漢時代になってむしろ規模は縮小しているよと。
第二章 都市発達に関する二つの見方
都市発達の要因はなにかということについては、宇都宮清吉氏の経済都市説と宮崎市定氏の政治・軍事都市説が対立。戦国時代の都市は空き地が多く、家屋の密集している地域ではないことから、自然成長による経済都市説はかえりみられなくなったよと。
第三章 都市発達の地域的片寄り
河南省山西省南部の黄河中流域に都市遺跡が集中している。でもこれは遺跡の空白地は未発見な遺跡が眠っているのかも。黄河中流域に都市が多数発達し、周辺はそれほどではなかったという構図は基本的に変わらないとしても。
第四章 三晋地域の都市発達の要因
三晋地域については内陸交通路の中心で、宇都宮氏の経済都市説のほうが正しかったんじゃないのと。出土青銅器の変化から春秋中期以後に新興階層の台頭が想定できる。いわゆる氏族制秩序が崩壊し、鉄器と牛耕が普及し、新しい都市が現れたよと。
第五章 戦国都市の制度的特質
三晋諸国では兵器製造や貨幣の発行の権限を県(都市)が握ってたよ。いっぽう秦国などの周辺諸国では中央集権的に統制していたよと。三晋諸国では経済的実力をもつ都市が制度的な独立性を保っていたよ。
第六章 三晋都市住民の性格
紀元前262年に秦の攻撃を受けた韓の上党郡は、秦に帰属することを望まず、趙に降ったよ。上党郡の住民の秦の支配に対する拒絶感は根強く、長平の戦いの後もたびたび反乱を起こしてるよと。
第七章 都市における「市」の役割
古代の「市」は、国家の統制が及ばず、賤民や亡命者を許容するアジールとして機能しているところがあるよ。また「市」には情報が集積し、輿論形成と操作がおこなわれた場所でもあるよと。
第八章 秦の天下統一と都市
なぜ秦は天下統一が可能であったのか?兵士の数や兵器の優秀さにあったわけではなく、商鞅の改革による軍事制度や、氏族共同体を維持したままで強力な専制国家を創り上げたことにある。対する東方諸国の側は宗族的結合が弛緩し、国家の分裂が進んでいった。統一した秦帝国は都市に対する支配を強化し、規制・統制していくよ。
第九章 秦末の都市反乱
秦末の反乱は都市の反乱であった。反乱の中心となった郡県の「少年」に注目していくよ。
第十章 漢帝国の都市支配
高祖劉邦は旧六国の貴族たちを関中に強制移住させるなど、必ずしも都市の富裕層に融和的ではなかったよ。文帝・景帝のころには「無為清静」をむねとする黄老思想の流行とともに規制緩和・放任政策がとられたよ。武帝期に政策の転換がはかられ、塩鉄の専売や緡銭令などにより、商人が抑圧されていくよと。
終章 官僚制の形成と都市
武帝期に「賢者」の任用を制度化する考廉察挙制度(郷挙里選)が開始され、官僚制統治が持続していく。中国の中央集権的な官僚制度は都市の発達の中から形成されてきた要素が色濃いよと。

ちなみに実際の本書はこんな文体ではありません(笑)。
考古資料や伝世文献を使いながら、都市の自由の発展に任せた三晋(趙魏韓)と、都市を統制しようとした秦、都市を官僚支配に組みこんだ漢武帝という流れを、ある意味図式的に描いている本であるというと、まとめすぎですが。

戦国秦漢時代の都市と国家―考古学と文献史学からのアプローチ (白帝社アジア史選書)

戦国秦漢時代の都市と国家―考古学と文献史学からのアプローチ (白帝社アジア史選書)