神はサイコロを振らない

哀公、孔子に問いて曰く、「吾れ聞く、『君子は博せず』と。これ有りや」と。孔子曰く、「これ有り」と。公曰く、「何のためぞ」と。対えて曰く、「その二乗あるがためなり」と。公曰く、「二乗有れば、則ち何がために博せざるや」と。子曰く、「それ悪道を兼ね行うためなり」と。哀公懼る。間有りて、復た問いて曰く、「かくの若きか、君の悪道をにくむの至甚なることや」と。孔子曰く、「君子の悪道をにくむこと甚だしからずんば、則ち善道を好むも亦た甚だしからず。善道を好むの甚だしからざれば、則ち百姓の上に親しむも亦た甚だしからず。詩に云う、『未だ君子を見ざれば、憂心惙惙たり。亦た既に見い、亦た既に覯わば、我が心則ち悦ばん』と。詩の善道を好むの甚だしきや、かくの如し」と。公曰く、「美なるかな!それ君子は人の善を成さしめて、人の悪を成さしめず。吾が子の言なかりせば、吾れこれを聞くことなきなり」と。
孔子家語』巻1五儀解第7

魯の哀公が孔子に「君子は六博(すごろく)をしないと聞くが本当か」と訊ね、孔子は「本当だ」と答えます。孔子は六博が善悪を兼ねる行いであるために君子はやらないのだと解説します。哀公は孔子が悪の道を憎むこと激しいのに驚きますが、孔子は悪道を激しく憎まない者は善道を激しく好むこともないことを説きます。さすがは文宣王サマです。そう、アインシュタインの名言「神はサイコロを振らない」はここから来たのです(大嘘)。