大秦王安敦の使者はエリュトゥラー海を越えてきたか。

後漢書』巻7孝桓帝
「大秦國王遣使奉獻。」
後漢書』巻88西域伝
「至桓帝延熹九年、大秦王安敦遣使自日南徼外獻象牙・犀角・瑇瑁、始乃一通焉。其所表貢、並無珍異、疑傳者過焉。」

西暦166年、大秦王安敦が日南郡の境外から使者を派遣して象牙・犀角・玳瑁を献上して、はじめて通交したことが、『後漢書』にみえる。この大秦王安敦は通説ではローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスに比定されており、高校世界史の教科書にもみられる。
しかし献上品の象牙や犀の角や玳瑁(鼈甲)はローマの物産ではない。もとの『後漢書からして「疑傳者過焉」(疑うらくは伝える者の過ちか)と言っている始末である。
ローマ人はセレス(中国)の存在を知っていたし、セレスの絹は実際にローマ人にも珍重された。しかし本物のローマ皇帝の使者が洛陽にやってきたかどうかは極めて怪しい。
このあたりが妥当かもしれないし、東南アジアかインド洋沿岸に別の「大秦国」があった可能性すら排除できない。
自分の怪しい記憶では、かつての高校世界史の授業はそこまで伝えていなかったように思うが、今はどう教えているのだろう。

エリュトゥラー海案内記 (中公文庫)

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