ふたりの虞氏。

このへんのつづきかも。
「太原隋虞弘墓誌

公諱弘,字莫潘,魚國尉紇邾城人也。

『隋書』巻40列伝5および『北史』巻73列伝61

虞慶則,京兆櫟陽人也。本姓魚。其先仕於赫連氏,遂家靈武,代為北邊豪傑。父祥,周靈武太守。

同じ隋に仕えた虞氏でも、そのルーツは異なる。虞弘は、茹茹国(柔然)から北斉北周・隋ときた人。虞慶則は、その先祖が赫連氏の夏に仕え、代々霊武に住まい、おそらく西魏北周・隋ときた人。しかし不気味な符合は「魚」。虞弘は「魚国尉紇邾城の人」であり、虞慶則は「本姓が魚」である。ふたりの虞氏にみえる「魚」はなんなのか。決定打はない。
http://www.sass.org.cn/eWebEditor/UploadFile/00n/ull/20060526112633360.pdf
http://www.lwbao.com/minzuxuelunwen/jhsjk___tyxcsdyhmzdjgwt_481884.html