渤海高氏が非漢人だと思う瞬間

例によってマッチポンプで申し訳ないが、Wikipedia李祖娥の項。

北斉が建国されると、文宣帝の正妻として皇后に立てられるはずであった。しかし高隆之と高徳正は、李祖娥が漢人の婦人であるため、皇后に立てることに反対した。

ここの解釈に不満があれば、『北斉書』巻9列伝1や『北史』巻14列伝2を見てほしい。もう少し正確を期するなら、「及帝將建中宮,高隆之、高恕y正言漢婦人不可為天下母,宜更擇美配。」〈文宣帝が中宮を立てようとしたとき、高隆之と高徳正は「漢の婦人は天下の母となすべからず。宜しく更に美配を択(えら)ぶべし」と言った。〉ということだ。

なんとも分かりやすいエスノセントリズムで、少なくとも高隆之や高徳正は漢の婦人が北斉の皇后に立てられるべきでないと考えているし、つまり自分が漢人だと思っていないということだ。

高隆之については『北斉書』巻18列伝10や『北史』巻54列伝42を、高徳正については『北史』巻31列伝19の伝を見るといい。高隆之は高平郡金郷県の徐氏の出身なので取りあえず置いておくが、高徳正は渤海郡蓨県の高氏である。*1高歓や高澄や高洋(北斉の文宣帝)と同じ本籍である。ただし系図上はかなり離れてはいるし、皇族扱いされていない。後燕の高慶や高泰の代が系譜上は共通の祖先といえるというくらいである。

高徳正が漢の婦人を皇后に立てるなと主張して一定の支持を受けるということは、高歓や高澄や高洋らを含めた当時の渤海高氏はやっぱ非漢人なんだろうなというわけ。

僕は別に目新しいことを言っているわけではなくて、北斉の高氏が非漢人だとみなされる論拠についてはこのへんをみるといい。
http://tieba.baidu.com/f?kz=336988341

*1:『北史』高徳正伝では、高徳正がいつも「漢を用いて鮮卑を除くべし」と言っていたとかなんとか。何だろうか、后妃伝の論とはキャラが合わない;