拓跋皇帝たちの避諱

  • 北魏の東海王の元曄(字は華興)。扶風王元怡の子で、爾朱氏に擁立されて北魏の皇帝となる。在位530-531年(『魏書』巻19下列伝第7下)。ところが北魏の咸陽王元禧の子にも元曄(字は世茂)という人物がいる。兄の元翼や元昌とともに南朝梁に亡命し、桑乾王に封じられている(『魏書』巻21上 列伝第9上)。
  • 北魏の前廃帝あるいは節閔皇帝の元恭(字は脩業)。広陵王元羽の子で、爾朱氏に擁立されて北魏の皇帝となる。在位531-532年(『魏書』巻11帝紀第11)。ところが北魏城陽王元鸞の子にも元恭(字は顕恭)という人物がいる(元恭墓誌)。
  • 北魏後廃帝あるいは安定王の元朗(字は仲哲)。章武王元融の子で、高歓に擁立されて北魏の皇帝となる。在位531-532年(『魏書』巻11帝紀第11)。ところが北魏の東阿県公の元順の子にも元朗という人物がおり(『魏書』巻19中列伝第7中)、さらには北魏の楽安王拓跋範の孫にも元朗(字は顕明)という人物がいる(元朗墓誌)。
  • 西魏廃帝の元欽。西魏の文帝元宝炬の子で、西魏の2代皇帝となる。在位551-554年(『北史』巻5魏本紀第5)。ところが北魏の陽平王拓跋新成の子にも元欽(字は思若)という人物がいる。司空公に上り、鉅平県公に封じられた(『『魏書』巻19上列伝第7上)。

元魏の皇帝とその一族に同名の人物が存在するという話。避諱を気にしていなかったのだろうか?