三皇と道君

旧唐書』巻130列伝80王嶼伝
「請於昭應縣南三十里山頂置天華上宮露臺、大地婆父、三皇、道君、太古天皇、中古伏羲媧皇等祠堂」
新唐書』巻109列伝34王嶼伝
「請度昭應南山作天華上宮、露臺、大地婆父祠,并三皇、道君、太古天皇、中古伏羲、女媧等各為堂皇,給百戸掃除」

ここの部分の違和感はいろいろあるのだが、三皇と道君が並列されているのが変なのか、三皇と伏羲・女媧が分けられてるのが変なのか、天皇氏と伏羲・女媧が併記されているのが変なのか、とにかくなんとも据わりが悪い。

ここの「道君」は、道教教団の中のえらい人の意味でもなければ、道君皇帝の意味でもなく、たぶん「太上道君」を指している。
こちとら道教について知見がないんだけど、唐代の道教者がいったい全体どういう古代史像を抱いていたのか気になるところだなあ。