毛文龍すごくない?

袁崇煥は聖か邪か?(宣和堂遺事)

大体、袁崇煥を讃える文章では悪役にされる毛文龍ですが、朝鮮の勢力圏である鉄山を根拠地にして、後金の後背をゲリラ戦術で攪乱していたのですが、丁酉の胡乱で後金軍に皮島に追い込まれてしまいます。しかし、その存在は尚、後金の脅威だったようです。
もっとも、毛文龍も丁酉の胡乱で、命からがら逃げ出して皮島に移ってからは、あまり積極的に後金と交戦せず、もっぱら交易権益で殖財を計ったといわれ(少なくとも袁崇煥は輸出規制品にまで手を出していたと主張してます)、魏忠賢の塑像をつくって媚びを売ったことからあまり評判も芳しくありません。しかし、当時でも毛文龍を勝手に処刑したことについては批判もあるため、後世言われている程、毛文龍の方に一方的に非があるとも思えず、エキセントリックな袁崇煥が激情に駆られて普段から不仲であった毛文龍を処刑した…というのが真相なんだと思います。

明将なのやら、海盗なのやら、後金に通じていたのやら、立ち位置のあやしい毛文龍ですが、かれが歴史的に存在感があるのは、耿仲明・尚可喜・孔有徳の3人を部下にしていたという点だけでもミーハー心をくすぐっちゃうからです。

これで呉三桂がいたら完璧だったなあ…。三藩の乱は毛文龍が準備したとか、言ってみたかったー。

袁崇煥は毛文龍ぬっころして満足にひたっていたかもしれませんが、耿仲明・尚可喜・孔有徳みたいな連中を後金側に追いやっただけでも、罪深かったかもしらね(もちろんこれは明側の視点からみての結果論)。

以上、書いてるほうもあまりまともな歴史の考察だと思ってないので、そういうものとして受け取ってください。