鏡台は魏の宮中に出ず

『初学記』巻二十五 鏡台第十

『魏武雑物疏』に曰く、鏡台は魏の宮中に出ず。純銀参帯の鏡台一、純銀七子貴人公主の鏡台四あり。

原文は「魏武雜物疏曰鏡臺出魏宮中有純銀參帶鏡臺一純銀七子貴人公主鏡臺四」。
『魏武雑物疏』は『魏武上雜物疏』がたぶん正式な書名。
「参帯」は、おびひもでくくって身につけることができる…みたいな意味かなあ?あんまり自信なし。

全三国文』巻一も上記の『上雜物疏』を引いて御物三十種を挙げている。この『上雜物疏』じたい原本は散逸してしまって、あちこちの本からの引用で再構成されているもの。

純銀參帶臺硯一枚.
純銀參帶圓硯大小各一枚.

みたいな部分があるから、「純銀參帶…」という御物の形容の決まり表現があったんだろう。

『全三国文』所引の『上雜物疏』は、鏡台の部分の表現が微妙に『初学記』のものと違う。だから切り方も違う。

鏡臺出魏宮中。
有純銀參帶鏡臺一枚。
又純銀七。
貴人公主銀鏡臺四。

こっちのほうがすっきり読めるようにも思う。

まあ、あれこれ言っても仕方がない。つまるところ鏡台は三国の魏の宮中に初めて登場したとされるわけだ。そもそも当時の鏡はこういうものであり、鏡台も現在のものとは全く異なっていたはずだ。ちっちゃい鏡立てで帯び紐つけて携帯できるくらいのものではないかと想像してみただけ。間違ってても責任取りません、あしからず。