黄献中なんて僕も知らない

『オタク論!』(唐沢俊一・岡田斗司夫/創出版)から、唐沢氏の間違いと思われるものを3つ指摘してみるよ(パガニーニ、野田高梧、蜀碧)(愛・蔵太の少し調べて書く日記)

 中国の歴史書で『蜀碧』という本があるんですが、蜀の国を黄献中という盗賊が一時乗っ取った話なんです。普通は国を乗っ取ると、その国には善政を敷いて、国民に信頼されたところでよその国を侵略するんだけど、この黄献中がユニークなのは蜀の国の人間を殺して殺して殺し尽くすんです。他の国の人間に自分の国の人間を殺されるのなら、自分が殺してしまおうと。これを初めて読んだときに思い出したのが古いSFファンのことで(笑)、何かを徹底して好きだというときに、破壊衝動が生まれるわけですよ。

『オタク論!』は読んでませんから、引用が正確かどうか確認してませんし、以下は愛・蔵太さんを信用する前提で論じますが、僕も黄献中という中国の盗賊を存じません。

4・『蜀碧』という歴史書に出てくるのは「黄献中」じゃなくて多分「張献忠」

多分なんて担保はいりません。間違いなく「張献忠」です。
愛・蔵太さんの指摘の核心部分は正しいので、以下は些末な話になるのですが、

 うわぁ、なんかすごいです、この人。ポルポト越えてるよ(もしこの記述が本当なら。でも中国だからよく分からない)。

中国語版ウィキペディア張献忠記事を孫引きされているようですが、中国語版記事を最後まで読んでおられたら、現代の史学での有力な見解はここにしめされています。

但也有學者懷疑,四川數百萬人究竟是否真是張獻忠所屠盡?

「ただし四川の数百万人を張献忠が本当に殺し尽くしたかどうかは、学者に疑われている」とでも訳しておきます。その下にも、戸籍の記録がどうとか「七殺碑」がどうとか書かれてるんですが、煩雑になりますので、略します。

 あと、「蜀の国」を「乗っ取った」というのも(多分)間違い。明末に「蜀」という国を興した(僭主・皇帝になった)が多分正しい記述だと思います。

「蜀の国」を国家として厳格に解釈せずに、現在の四川省あたりを指す地域呼称としてとらえるなら、間違いとも言い切れないですね。明末に「蜀」という国を興したというのは、これこそ正しくないです。僕の知る限り、張献忠が興した国の名前は「大西」(だいせい)です。張献忠が蜀を国号にしたことはありません(正確に言えば史料で確認できません)。近頃では張献忠死後の残党どもも含めて「大西政権」と称されていることが多いですね。
脱線ですけど、個人的には張献忠そのものより、死後の大西残党たちの清朝へのレジスタンスのほうが面白いと感じています。