北魏の開倉賑恤

台湾中央研究院「漢籍全文資料庫」の「二十五史」で「開倉振恤」を検索すると、38件のヒットがあるが、そのうち37件は『北史』に当たる。さらにそのうちの35件は、『北史』魏本紀一から魏本紀四の4巻に当たる。
同じく字違いの「開倉賑恤」を検索すると、53件のヒットがあるが、そのうち49件は『魏書』、2件は『北史』に当たる。

飢饉が発生したとき、官倉を開いて貯めこんだ食糧を配り、飢民を救済する話は、北魏のときの記録に異様に多い。
仮説一:官倉を開いて飢民を救済した実際の事例が、北魏のとき他の時代より突出して多かった。
仮説二:『魏書』『北史』の原史料成立のとき、何らかの理由でとくにそういう記録ばかり集められたので、見かけ上だけ他の時代より記録が突出した。
おそらくこのどちらかだろうと思う。僕はとりあえず現段階では、仮説一を支持する。仮説二を支持する根拠が見当たらないという消極的理由にすぎないが。
他の王朝では、飢饉が発生したとき、租税の免除などで対応するか、もしくは全く放置するかが多い。豊年の年に食糧を貯めこみ、不作の年には大味なばらまきをするというのは、何となく北魏という王朝のカラーに似合っていると思ってしまうのは、僕だけだろうか?