史書に「臨朝称制」という言葉がある。これは、ほんらい朝廷の朝議を主催すべき皇帝が幼少だったり、なんらかの理由でその能力がなかったとき、皇太后などが代わって朝議にのぞみ、「制」というかたちで、命令を下すことである。
大臣や官僚たちは男性であるので、そくに女性が権力を握ったとはいえないが、少なからずこの例はみられる。
全部拾えているかどうかは分からないが、以下記す。
前漢呂太后/前漢王太皇太后/後漢和熹鄧太后/後漢安思閻太后/後漢順烈梁太后/東晋明穆庾太后/北魏文明馮太后/北魏霊胡太后/唐則天武太后/北宋章献劉太后/北宋慈聖曹太后/北宋宣仁高太后/北宋欽聖向太后/北宋昭慈孟太后/南宋慈懿李太后/南宋恭聖楊太后/南宋謝太后/南宋全太后/遼淳欽述律太后/遼睿智蕭太后/遼欽哀蕭太后/元文宗太后卜答失里/明誠孝張太后/清孝荘太后/清孝貞顕太后(東太后)/清孝欽顕太后(西太后)
「垂簾聴政」という言葉もあって、これは皇后や皇太后などが、朝廷で群臣に対してその姿を御簾のうらに隠し、政治をとることである。これは唐の高宗のときの天后(則天武后)にはじまる。「臨朝称制」と似てはいるが、微妙に意味は異なる。