隆科多

CCTV大河「雍正王朝」でその小心・卑屈・お調子者ぶりで愛されている隆科多君。
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http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%86%E7%A7%91%E5%A4%9A
では、

隆科多(?〜1728年)は、清朝満洲鑲黄旗の人。佟佳氏。康熙末年から雍正初年の重臣
隆科多は康熙帝の皇后佟佳氏の弟で、佟國維の三男。康熙末年に理藩院尚書に進み、歩軍統領を兼ねた。北京城内外の武力をつかさどり、たいへん重要な地位にあった。
康熙六十一年(1722年)、康熙帝の病が重篤となったとき、内外の大臣は謁見できなかったのに、ただ隆科多ひとりのみが康熙帝の身辺に近侍することができたので、その遺託をえた。のちに隆科多は康熙帝の遺命を受けたとして、雍正帝を擁立して帝位にのぼらせた。この大功により、かれは総理事務四大臣のひとりとして吏部尚書となり、太保の位を加えられ、権勢は一時を傾けた。

かれによる康熙帝毒殺説も根強く語られているようで。
http://heritage.news.tom.com/Archive/2001/11/30-98879.html