『草原の風』

宮城谷昌光『草原の風』(中央公論新社
昨年末に全3巻で出た小説を読了しました。ようやく光武帝のオーソドックスな長編が出たなあという感慨があります。光武帝劉秀を扱ったものとしては、先行に塚本青史氏の長編があるのですが、こちらは光武帝の面白エピソードの多くが端折られた無念の怪異作でした。宮城谷光武帝は『後漢書』をベースにしながら、宮城谷得意の上古の教養をひけらかしつつ、先行のハードルを越えたものと思ってよいでしょう。司馬亜流の宮城谷文体も健在ですね。

さて、『草原の風』という題から光武帝を連想することは困難かと思いますが、おそらく『後漢書』王霸伝の「光武、霸に謂いて曰く、『潁川、我に従いし者皆逝く。而して子独り留まる。努力せよ。疾風は勁草を知る』と。」から引いているものと思われます。作中それと知れるシーンは2、3カ所しかありませんが、光武帝の爽快さと芯の強さを印象づける良題です。

本作を挙兵以前の上巻部分と挙兵以後の中・下巻部分に分けると、しっかり繋がっているのにまるで別の話のように緩急が違います。『三国志』にたとえるよりは、『水滸伝』の前半のほうがノリは近いですね。ただし饅頭は出てきません。

宮城谷本作はほんと良い出来なのですが、あえて憾みをいうなら、史書の光武帝聖人化の流れを引きずって増幅していることと、下巻登場の人物が多すぎて覚えきれないことですかね。いままで『後漢書』ベースの光武帝水準作品といえるものがなかったので、光武帝ができすぎてるのはまあよいのですが、下巻の人物描写はもう少しムラを出したほうがよかったかもしれません。

光武帝の兄の劉縯は抑えめに書いても性格が浮き彫りになってくるとか。彊華が伏線的に登場とか。朱祐が意外と光武帝にべったりとか。馮異が自己主張しないわりに鮮烈な印象を残し、鄧禹は負けまくりでなんで重用されたのか分からないとか。周辺人物もいろいろおいしかったですね。

草原の風  上巻

草原の風  上巻