「梁の周伊」考

平家物語』の冒頭、有名な「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」で知られる巻第一に「遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山」という節がある。平清盛の引き立て役として中国史上の奸臣を列挙しているところだ。中国史上で趙高・王莽・安禄山は有名だが、周伊は知られないので、誰のことだというとこれは朱异のこととされている。
だけどこれは不自然だよね。とても朱异が趙高・王莽・安禄山と名を斉しくするほどの奸臣の代表とは思われないし。「久しからずして、亡じにし者どもなり」と言うんだけど、朱异は趙高・王莽・安禄山と違って殺害されたわけではなく、病死しているんだ。ここは「秦の趙高、漢の王莽、梁の侯景、唐の禄山」とするほうが、よほど自然な一節なんだよ。
だいたい「周伊」という当て字がくさい。周公旦と伊尹を足した当て字だよね。周公旦と伊尹は上古の輔臣として有名かつ高名だけど、ひそかに簒奪説がささやかれる人物でもあるんだ。何やら褒貶の義が含まれていそうじゃないか。『平家物語』の筆者(信濃前司行長?)あるいは後の補筆者が、執筆当時の周公旦や伊尹に擬せられる権力者に当てつけるためにもぐりこませた2字なんじゃないかと僕は疑っている。

というわけで、以上陰謀説終わり。ちなみに『平家物語』の周伊は周石珍である説というのも考えたんだけど、誰だそれって言われそうだし、説明するのも面倒だからやめたんだ。