兵馬俑が秦の宣太后の副葬坑という説

兵馬俑 定説巡り論争「始皇帝と無関係」研究者提起(朝日)
魚拓ブクマ

中国を代表する歴史遺産、兵馬俑(へいばよう)坑が来年、発見から35周年を迎える。秦の始皇帝の副葬品というのが定説だが、「別の人物のものだ」とする研究者の主張が注目され、論争が広がっている。

定説に異議を唱えるのは江蘇省政府の元職員で、独自に始皇帝陵や兵馬俑を研究する建築学者、陳景元氏(70)。定説に65の疑問を提起した本を香港で出版し、中国中央テレビなどが取り上げて話題となった。

兵馬俑好きにはたまらない面白い記事が出ましたよ。さあてツッコミ開始。

陳氏はまず、始皇帝陵の東約1.5キロに位置する兵馬俑坑は、副葬坑としては遠すぎると指摘する。

1.5キロって言われるとあれだけど、そんなに遠くないでしょ。
鶴間和幸『始皇帝陵と兵馬俑』(講談社学術文庫)P14の図。

また、出土した武器のほとんどが青銅製。中国では紀元前5〜3世紀の戦国時代から鉄の兵器が出回ったのに、紀元前3世紀後半の人だった始皇帝の兵士たちが、もっぱら時代遅れの武器を使ったとは考えにくい、と主張する。

青銅のほうが祭器として美しいからじゃないでしょうか?青銅器というと現代人は青錆の浮いたあれを思い浮かべがちだけど、錆びてない青銅の光沢は金ぴかで綺麗なものですよ。青銅でもクロムメッキ剣とか未だに謎な出土品もあそこにはあるんですよ。ぜんぜん時代遅れのものじゃないです。
だいたい戦国時代というなら宣太后だって戦国時代でしょうに。
僕は実戦用じゃない儀礼用・祭器用だから青銅製なのだと思いますが、
岳南/朱建栄監訳『秦始皇帝陵の謎』(講談社現代新書)P46あたりでは、出土した青銅剣の鋭利さを強調しています。

始皇帝は貨幣や度量衡などとともに、馬車の車軸の長さを約1.4メートルに統一したが、兵馬俑坑の馬車の車軸はばらばら。さらに、始皇帝は正装や旗などはすべて黒を基調と定めたが、兵馬俑が極彩色に塗られているのは史実に合わないと言う。

ここがこの説の肝かな。陳淳教授も一定の評価をしてます。
ところで彩色兵馬俑って鎧は黒いよね。
http://www1.hpam-unet.ocn.ne.jp/backnumber/image/heibayo5.jpg

兵馬俑始皇帝の副葬品説」の最大の証拠とされるのは、始皇帝時代の宰相の名で年代を記した矛(ほこ)が現地で発見されたことだ。矛には「呂不韋○年」と刻んである。だが陳氏によると、こうした矛は数点しか見つかっていないうえ、兵馬俑が立つ地面と矛の間には数十センチ〜約2メートルの泥層が積もっていた。

なんかちょっと違う気もするけど、「三年相邦呂不韋造寺工○」の銘文の入った戟のことだと思います。
始皇三年(紀元前244年)に作られたと考えられるもの。陳景元説のいうように宣太后陵墓の副葬坑なのだとすると、紀元前265年に亡くなった宣太后の墓からこれが出てくるのは変です。陳景元氏の説明もかなり苦しい。

そもそも袁仲一氏も言ってるとおり「こんな大規模な副葬坑は始皇帝以外に造れない」ですよね。少なくとも宣太后のために1号坑だけで6000体の陶俑とか、まず考えられないです。とてつもなく巨大な権力を背景にしているのは間違いないです。

ということで、陳景元氏が定説を覆す可能性はかなり低いとは思いますが、それでもなおこの説には多分な魅力を感じますね。僕も歴史好きのアマチュアだからかもしれませんが。あと参考として。
兵马俑的主人并非秦始皇 而是另有其人(中国网)
陳景元氏のブログ