兵馬俑の制作者が……との説

おもしろい論文を見つけてしまいました。
三濱善直「秦始皇帝陵 兵馬俑の彫刻家を推考する。」(宝塚造形芸術大学紀要10、1996年)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000469233
この三濱氏は宝塚造形芸術大学助教授(当時)で、演出空間デザインが専門ということで、秦漢史とも中国史とも全く畑違いの人のようです。
というか本業は彫刻家らしいですね。
http://www.sofics.co.jp/ncf1/sofics_gallery_01.html
2004年に亡くなられているようで、ご本人には反論できない話ですので、以下はおとなしめに笑ってお悔やみしようと思います。

三濱氏:「邯鄲随一の美女と言われた舞姫(恐らはは胡人ではなかったか)」
ええと、恐らはは…、胡人とする根拠が分からないですね。
三濱氏:「子礎」
誰っ!
三濱氏:「『史記』の秦始皇帝記」
別の場所には違うバージョンの誤字あり。こんな調子で誤字が多いのです。


兵馬俑の制作者が全員宮刑を受けていたというのは、たしかにオリジナリティがあるのですが、根拠は『史記』秦始皇本紀しかないようで、しかもそれには問題が……、後で説明します。
三濱氏:「『史記』の秦始皇本記には「隠宮刑徒七十余万人、乃ち分かれて阿房宮…」
いや『史記』秦始皇本紀の始皇三十五年の条に書かれているのは、「隱宮徒刑者七十餘萬人,乃分作阿房宮,或作麗山。」です。「刑徒」と「徒刑」じゃ意味が変わってきますね。


これはどうも三濱氏は阿房宮や驪山陵の造営に動員された七十余万人が全員去勢されたものと思っておられたようです。壮大すぎて涙が出ます。明代の宦官十万人もびっくりだ!
さきほどの「隱宮」ですが、これには『史記正義』の注がついていて、「餘刑見於市朝。宮刑,一百日隱於蔭室養之乃可,故曰隱宮,下蠶室是。」と書かれているので、「隱宮」について宮刑を受けた人と解するのはいいですね。でも「徒刑」はというと、ふつうはこういう意味ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E7%BD%AA
徒刑とは、強制労働に服させる刑罰です。
「隱宮徒刑者七十餘萬人」は宮刑を受けた人と強制労働に服した人とで七十余万人と通常は解釈されます。『史記』の誤読にもとづいて、兵馬俑の制作者が全員宮刑を受けていたという説を立てられたようです。

余談ですが、「隱宮」の解釈については異説もあり、僕は以前
趙高非宦官説
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20080125/p3
でネタにしたことがあります。