ヴェトナム十二使君メモ

矯公罕(矯三制)Kieu Cong Han。峰州に拠った。
阮寛(阮太平)Nguyen Khoan。阮家湾に拠った。
呉日慶(呉覧公)Ngo Nhat Khanh。唐林に拠った。十二使君の争覇を経て、丁部領に降った。かれの母が丁部領の妻となった。
杜景碩(杜景公)Do Canh Thac。杜洞に拠った。丁部領と長年にわたって争ったが、流れ矢に当たって戦死した。
呉昌熾(呉使君)Ngo Xuong Xi。呉昌文の跡を継いだが、すでに越呉朝は有名無実で、十二使君のひとりに数えられるにすぎなかった。平橋に拠った。丁部領が平橋路に進軍してくると、宴会に招かれ、その兵威におそれて降った。
李奎(李郎公)Ly Khe。超類に拠った。
阮守捷(阮令公)Nguyen Thu Tiep。仙游に拠った。
呂唐(呂左公)Ly Duong。細江に拠った。
阮超(阮右公)Nguyen Sieu。西扶烈に拠った。丁部領と長年にわたって争い、もっとも頑強だったが、渡河作戦中に突風が起こり、舟や軍糧の多くを失い、丁部領に陣営を焼かれて、敗れた。
矯順(矯令公)Kieu Thuan。回湖に拠った。
范白虎(范防遏)Pham Bach Ho。藤州に拠った。
陳覧(陳明公)Tran Lam。布海口に拠って十二使君のうちで最も強力だった。丁部領と協力した。

10世紀というのは、中国では唐朝の崩壊と五代十国の戦乱、北宋の建国があったが、やはりヴェトナムも混乱しており、曲氏(906-930)・楊氏(931-937)・矯氏(937-938)・呉朝(938-965)・十二使君の乱・丁朝大瞿越国(968-980)・前黎朝(980-1010)と目まぐるしく勢力交代がおこなわれている。前世紀の黄巣の乱や、ウイグルの西遷が、ユーラシア全体を揺動させているのが分かる。広くユーラシア史として考えたばあい、ウイグルの西遷が民族の玉突きを起こし、モンゴル高原での契丹の興起を招き、遠くペネチェッグ人のヨーロッパ侵入から、マジャール人のドイツ侵入まで引き起こしているわけだ。