熒惑守心

この前読んでた野尻抱影『星と伝説』(中公文庫)に、熒惑(火星)が心宿(蠍座アンタレス)にあると不吉の前触れという中国の迷信について書かれてたので、正史を検索してみました。わあい、いっぱいあるんですね。途中でしんどくなってやめました。火星は天の黄道上を不規則に動く(だから「惑」星という)ように見えるので、東西問わず占いに利用されるわけです。火星がアンタレスの近くで動かなくなったように見えることもあるわけで、これを「熒惑守心(熒惑、心を守る)」というわけです。赤い星が南の空にふたつ並びたつと、なにやら不吉っぽいというのは、自然な感情として納得。

史記』巻六秦始皇本紀第六

(始皇)三十六年、熒惑が心宿の位置を動かなかった。流星が東郡に墜落した。

これは始皇帝が亡くなる予兆を示しています。

史記』巻三十八宋微子世家第八

三十七年、楚の恵王が陳を滅ぼした。熒惑が心宿の位置を動かなかった。心宿は、宋の分野である。(宋の)景公はこれを心配した。司星の子韋が「(災厄を)宰相に移すことができます。」といった。景公は「宰相は、わたしの股肱である。」といった。子韋は「民に移すことができます。」といった。景公は「君は民あってのものである。」といった。子韋は「歳に移すことができます。」といった。景公は「歳が飢えては民が困ろう、わたしは誰の君であるのか!」といった。子韋は「天は高いところにあって低いところの物事を聞かれます。君は人の上に立つものの心がけを三つおっしゃられました。熒惑も必ず動きがあるでしょう。」といった。その夜、やはり熒惑は三宿にわたって動いた。

これは有名な挿話ですね。主題は災厄を他人に移すことを拒絶した宋の景公を称揚することにあるわけですが。

漢書』巻八十四翟方進伝第五十四

綏和二年春、熒惑が心宿の位置を動かなかった。

このために宰相の翟方進は自殺することになります。

『晋書』巻十三志第三天文下

(黄初七年)五月、帝が崩御された。蜀記がいうには、明帝(曹叡)が黄権に「天下は三分されているが、いずれの地が正統であろうか?」と尋ねた。黄権は「天文をみるべきです。むかし熒惑が心宿の位置を動かなかったとき、文帝(曹丕)が崩御され、呉・蜀は無事であったのは、これは天文のしるしであります(天が魏を正統と認めているから、その予兆をあらわしたのです)。」と答えた。

「『三国志』を按じるに、熒惑が心宿を動かなかったという文がなく、疑うらくは太微に入ったのではないか」という考証が入っています。

『晋書』巻十三志第三天文下

太康八年三月、熒惑が心宿の位置を動かなかった。占いに「王者にとってよくない。」と出た。太熙元年四月乙酉、帝(司馬炎)が崩御された。

西暦287年に出た天文の予兆が、290年に現実化して、それで納得していいのかという問題がありますが。