唐の皇帝たちの湯泉好き

正史の本紀やら通鑑やらを見ていると、ときおり皇帝たちの湯泉行幸の記録を見かける。しかし唐の太宗から玄宗にかけての皇帝たちの湯泉行幸の記録は多く、ほかの時代と比べても突出している。「驪山の温湯」、「温泉宮」、「華清宮」、この三つの呼び名は長安近郊の同じ場所を指しているのだが、これらの単語は唐の貞観から天宝年間に頻出する。とくにすさまじいのはやはり玄宗で、毎年十月に温泉宮(華清宮)に行き、十一月か十二月に帰ってきている。楊貴妃物語と華清宮が切り離せない関係にあるのもむべなるかな。現在の西安にも「華清池」として完璧に観光地化されてはいるものの、その跡が残されている。
さて脱線。僕がはじめて中国に行ったのは、もう十年以上も前になるが、「華清池」に行ってびっくりしたのは、そこが1936年に張学良が蒋介石を軟禁した西安事件の舞台でもあったということ。楊貴妃物語と西安事件と、時代的には全く脈絡のない話が、地理的にはつながってしまうのに仰天したわけ。実際に行ってみないと迂闊にも気づかないことってのは、やっぱりあるわけで。