渤海の藩書

あまりにも怪しげな話なので、上田雄『渤海国』(講談社学術文庫)などには間違っても載っていないネタ。
渤海に独自の文字があったという説である。『渤海国史話』(吉林人民出版社)第21章を参照しながら、以下に簡単に紹介する。
唐の玄宗のころ、渤海国から長安に使者が来て、玄宗に藩書を呈上した。しかしその文面は草書でも隷書でも篆書でもない奇体な字体で書かれていた。玄宗朝の官吏たちは、この渤海藩書を読み解こうとして、ことごとく失敗した。ときに賀知章は友人の李白玄宗に推薦した。李白は宮中に入ると、藩書の内容を高らかに朗唱した。「渤海の大可毒、書を唐朝の官家に達す。うんぬん」。さて、李白はなぜ渤海の文字を解読することができたのか?李白渤海の人士と交友関係があったことは、史料で証明できる。そのため李白渤海文字を学び、藩書を解読することができたのだ。
中国の民俗学者曹保明は、長白山の石碑に刻まれた図画文字を研究するうちに、老猟師の金学天と出会い、特殊な符号を記録した書物『高興』を発見した。符号の分析を進めるうちに渤海藩書の文字を再現することができたのである。(怪しげな話、ここまで)
……結論を言うと、渤海文字説はほぼ否定されているといっていい。李白の藩書解読話が古典小説のみに見られるものである、といういかがわしさもまず一因だが。なによりも、上京龍泉府や東京龍原府から出土している文字瓦などから、渤海国では漢字が通行していたとみられるからである。