安禄山の演技と玄宗の寂寥

自分で漢文の書き下しをしようとすると、実に怪しくなるのですが、現代語訳しても同様に怪しいから、さしたる支障はなし。
『通鑑』巻215唐紀31天宝二年

春、正月、安祿山入朝す。上、寵待すること甚だ厚く、謁見するに時無し。祿山奏して言ふ:「去年、營州の蟲苗を食らひ、臣、香を焚き天に祝りて云ふ:『臣若し操心して正からず、君に事へて不忠ならば、願はくは蟲にして臣の心を食らはせしめん。若し神祇に負かざれば、願はくは蟲をして散ぜしめん。』即ち羣鳥有りて北從り來りて、蟲を食ひ立ちどころに盡く。史官に宣付せんことを請ふ。」之に從ふ。

天宝二年の春、正月、安禄山が入朝したよ。玄宗は、たいへん歓待して、謁見して時を忘れたよ。安禄山は上奏して言ったよ。「去年、営州の虫どもが苗を食っちゃったんです。臣は、香を焚いて天に祈って言いました。『臣がもし志が正しくなく、君に仕えて不忠だっていうなら、できりゃ虫どもに臣の心臓を食わせちゃってください。もし神様にそむいてないってなら、できりゃ虫どもを追い散らしちゃってください』。すると鳥たちが北からやってきて、虫どもを食っちゃって、たちどころに食べ尽くしました。史官にいって記録させといてくださいよ」。玄宗はこれに従ったよ。

ほかに有名な挿話として、玄宗:「この腹には何が詰まっているのじゃ?」安禄山:「赤心(陛下への忠誠心)だけが詰まっているのです」なんてのがありました。
安禄山の言動がいちいち演技がかってて、わざとらしいお為ごかしだってことは、玄宗も気づいてたと思います。気づいていながら、彼の機知を愛さずにはいられなかったのだと思います。
玄宗の心に空いた穴。武恵妃の死、兄・李憲の死、皇太子廃位事件の失敗。玄宗の孤独は拠り所を求めてさまよい、楊貴妃に引き寄せられ、安史の乱を招いた…というと、感傷的すぎるでしょうね。