『バケモノの子』

細田守監督の新作『バケモノの子』見てきました。
異類譚、異世界譚に、ビルドゥングスロマンジュブナイルを掛け合わせた『おおかみこどもの雨と雪』のスタート地点をゴールに持ってきたようなお話でしたね。ただこれは主人公の九太(蓮)サイドから見るからで、熊徹サイドから見れば、不完全なる父の物語というこれまた『おおかみこども』を引っ繰り返した話でした。忘れてはいけないのですが、現実世界には九太の実父がいて、これがまた少し頼りない感じの人です。いずれの父も、不完全なる父と、その背中と、父子の衝突と葛藤をあっけらかんと肯定して、オイディプス王とはしないオチではありました。逆に完全なる父のように見えた猪王山が瑕疵を持っていたことは、後半に明らかとなります。

さて、渋谷の裏世界である渋天街は、南欧風の建造物に和風や中華風のガジェットを詰めた文化的ハイブリッドです。『おおかみこども』が自然と山村を描こうとしたのに対して、今回の細田監督は意識的に人工的な街と群衆に力を入れて描こうとしていたように思われます。バケモノの物語を描くためには、この世のどこでもない街とバザールと百鬼「昼」行の異世界が必要と逆算されたのでしょう。

今回のモチーフについては、メルヴィルの『白鯨』と中島敦の『悟浄出世』がエンディングにクレジットされておりました。九太が図書館で楓と出会うシーンで読んでいたのはメルヴィルですし、たびたびその本は出てくる上、ラストバトルでもお察しでありました。また熊徹の友人である多々良と百秋坊は『西遊記』のキャラクターを裏返したような造形ですし、熊徹一行が宗師の命を受けて各地の賢者たちを巡る珍道中は、中島敦の悟浄が出くわす禅問答と内容が全く異なるものの、人を食ったところには共通点も感じます。モチーフはかなり砕いていて、物語のバランスを壊さない程度に導入されたものと思いますが、図書館シーンへの接続はさすがに強引さを感じたところではあります。

鳥頭の自分には思いつくところこのくらいですが、語られるべきところはまだまだ多そうで、鑑賞後の満腹感は強かったです。