諸葛長民の「君は劉、俺は諸葛…」発言について

諸葛長民という男が「あんたは劉でおれが諸葛だから一緒に国を造ろう」と持ちかけたときに「おれは劉でも漢王朝の血はひいちゃいないよ」と応えた男だから、国号も劉の姓には珍しく漢にしないで宋とした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9156/REKISI/nanboku.html

魏晋南北朝時代東晋を簒奪して宋を建てた「南朝宋の武帝」こと
劉裕】(356〜422)は、ある時【諸葛長民】という人物と知り合う。
「俺たちは昔の劉備諸葛孔明そっくりの名前だ。俺があんたの孔明になってやるよ」
「馬鹿馬鹿しい俺は漢室の子孫じゃなくて貧民の倅だ」
やっぱりこっちの諸葛は孔明にはなれず、最後は劉裕に粛清されたとか。
http://history.log.thebbs.jp/1080651360.html

そんなふうに考えていた時期が俺にもありました
さて、諸葛長民の本伝は『晋書』巻85列伝55にあるのですが、まずこれにこの発言は見えません。
『晋書』『宋書』『南史』(『南史』では避諱により「諸葛長人」と書く)など正史に見えません。
資治通鑑』にも見えません。
…ということで、この発言のそもそもの出典が分かりません。かりに漢籍の出典がほかにあったとしても、信憑性はかなり低いと思いますね。吉川忠夫『劉裕−江南の英雄宋の武帝』(中公文庫)も、この話を取り上げていません。
だいたい劉裕は漢の楚元王劉交の二十一世の孫を自称していたりするんですよね。
残念ながら諸葛長民は「君は劉、俺は諸葛…」とか言ってないだろうと思われます。

諸葛長民の台詞としてあと知られてるのは、「むかし彭越がひしびしおにされ、韓信が殺された。(そういう粛清の)禍がやってきたぞ!」とか、「貧しいときには富貴になることばかり考えるが、富貴になると必ず転覆の危険にさらされる。こんにち丹徒の布衣に戻りたいと思っても、どうしてできようか!」とか、なにやら成り上がりの哀愁ただよう発言があるのですが、「君は劉、俺は諸葛」ほどのインパクトは持っていないですね。