義経が荒れている2

Wikipedia義経=ジンギスカン説の項のノート
まだ続いている。というか全く議論が噛みあわないまま、ますますヒートアップ。
丁寧に受け答えをされているHaydarさんには頭が下がる。
「カブル・カン→バルタン・バアトル→イェスゲイ・バアトル→テムジン」という系譜が絶対に正しいとは誰も言っていないし、チンギスの先祖とされる彼らが「本当に存在したかどうか」は記事の妥当性に関わっていないんだけどな。現在の歴史学の通説がこの系譜を蓋然性が高いと認めているから、記事に書かれるのが妥当であるだけで。
復活のシャアさんが全く理解していないのは、歴史学が史料の記述を積み上げながら、過去にあったと思われる事実の蓋然性を高めていく学問だということだ。相互に影響関係のない中国史料とペルシア史料が同じ系譜を書いていれば蓋然性が高いと判断される。都合のいい史料だけを抜きがいてすまされる問題ではない。

それに物には裏づけの資料というものが必要なはずです。

これはHaydarさんの文章を読めば、かなり丁寧に説明されている。むしろ復活のシャアさんに跳ね返ってくる台詞だろう。

本当に実在したかどうか定かではないものを、いかにも実在したかのようなやりかたは反対であると重ねて言わせていただく。

これもブーメラン。

ジンギスカンの墳墓から義経だった証拠がそのうち見つかる。

極めて可能性は低いが、いかに極小の可能性であっても可能性は否定しない。しかし、まだ証拠が見つかっていないのであるなら、現行の歴史学の結論にもとづく記述をWikipediaでは妥当とすべき。証拠が出たとき、加筆すればよい。

建設的提案としては、復活のシャアさんが自分で責任の取れるサイトなりブログなりを立てて自説を開陳されるのがよいだろう。
そうそう、忘れるところだった。ネットで『元史』「太祖本紀」の和訳が読めるし、岩波文庫には小澤重男訳『元朝秘史(上)』がある。最初のほうだけでも読んでおくと、今回の議論の一端がつかめる。『集史』は残念ながら部分訳しかないので、杉山正明氏の翻訳が出るのを待つしかない。