「正史」も「稗史」も読まない人の史論

中国四千年は改竄史、真の歴史は日本にあり 嘘で固められた南京大虐殺尖閣事件・・・(JBpress 日本ビジネスプレス)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4971

……ツッコミがいのありすぎる記事ですね。「改竄」され「嘘で固められ」てるのはこの筆者さん(森清勇さん)の頭の中の「歴史」のほうだと思うのですが。あー、ちなみに「南京」とかには、僕はツッコまないですよ。そのへんはほかに適任者がいると思いますし。ただ中国の正史に関しては黙ってられないので、つっかえたら困るものを吐き出しておくことにします。

 中国の王朝交代は「易姓革命」と呼ばれる。現実には新興する一族が、衰弱する王朝を武力で打倒して帝位に就くもので、権力の簒奪以外の何物でもない。新に帝位に就いた王朝の最初の仕事は、前王朝の歴史を書くことである。

易姓革命」が実は武力による「簒奪」と言っているのですが、易姓革命はもともと放伐禅譲の両方を含んだ概念なので、何やら冒頭から勘違いのにおいが漂うわけですが。さて、中国の正史「二十四史」の成立過程や年代を考えてみます。
史記前漢司馬遷 紀元前91年頃
漢書後漢・班固 92年頃
後漢書』 宋・范曄 432年
三国志』 晋・陳寿 280年〜290年頃
『晋書』 唐・房玄齢他 648年
宋書』 南斉・沈約 487年
『南斉書』 梁・蕭子顕 519年頃
梁書』 唐・姚思廉 629年
『陳書』 唐・姚思廉 636年
『魏書』 北斉・魏収 559年
北斉書』 唐・李百薬 636年
『周書』 唐・令狐徳棻他 636年
『隋書』 唐・魏徴、長孫無忌 656年
『南史』 唐・李延寿 659年
『北史』 唐・李延寿 659年
旧唐書後晋・劉昫他 945年
新唐書北宋・欧陽修、宋祁 1060年
『旧五代史』 北宋・薛居正他 974年
『新五代史』 北宋・欧陽修 1053年
『宋史』 元・トクト(脱脱)1345年
『遼史』 元・トクト(脱脱)1345年
『金史』 元・トクト(脱脱)1345年
『元史』 明・宋濂他 1370年
『明史』 清・張廷玉等 1739年
この中で『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』『南斉書』『南史』『北史』といったところは、もともと私撰の史書なので、王朝の仕事とはいえません。それ以外は、王朝の命による勅撰の正史ということになりますが、年代的にみても「新に帝位に就いた王朝の最初の仕事は、前王朝の歴史を書くことである」といえるのは、『旧五代史』『元史』『明史』くらいですね。最初の仕事ではないけど、『隋書』『宋史』『金史』は次の後継王朝の仕事とはいえます。いずれにせよほとんどについて当てはまらないということです。

 この“作られた歴史”が中国の「正史」となり語り継がれていく。当然のことながら、現王朝の正当性(ただし正統性ではない)を主張する歴史になり、都合の悪いところは事実を捻じ曲げて書き換えられたものである。

ダウト。「現王朝の正当性(ただし正統性ではない)」って、なんだそりゃ……。現王朝の正当性も正統性も両方主張してるに決まってるじゃないですか。それに現王朝の都合の悪いことは書けなくても、前王朝に都合の悪いことはがんがん書かれるわけですね。いいことじゃないですか(笑)。その次の王朝がまた前王朝に都合の悪いことを書いてくれるんでしょう?

 真実の歴史であっても正史以外は「稗史」として闇に葬られる。何千年にもわたって王朝交代の治乱興亡を繰り返してきた中国は、このように国家を挙げて歴史を改竄してきた。権力者に都合よく内容が仕立てられるのは当たり前のことである。

稗史」は焚書でもされたのかって勢いですね。稗史は正史に認定されなかった史書ってだけで、いくらでも残ってますし、『永楽大典』や『四庫全書』『古今図書集成』などの王朝編纂の類書に収録されたものも多くありますよ。中国の漢籍の分類法で経・史・子・集の四部分類というのがあるのですが、これの史部に分類されるもののリストを作ると、どれくらいの分厚になるのか、漢籍の海に溺れたことのない人には分からないのだろうな……(ため息)。もちろん史部に分類されないものでも、今では貴重な史料となるものがありますけどね。

 最初に述べたように、中国に「正史」はあるが、これは断じて正しい歴史ではない。後を継いだ王朝が帝位の正当性を主張するために後追いで編纂した歴史であり事後法にも等しい紛い物で、本来の歴史記述にあってはならないことである。

また正史に戻ります。「正しい歴史ではない」のはそのとおりですが。繰り返しますが、二十四史のうち次の後継王朝によって書かれたものがいくつありますか……(くどいのでこのへんで)。で「本来の歴史記述にあってはならない」とか言ってるんですが、それではどういう歴史書の書かれかたが、本来の歴史記述なんでしょうね。「後追い」がダメだから、先読みで書けとか……。それじゃ、予言書だ(笑)。同時代の人が自王朝の歴史を書いたとしても、当代史ならではのバイアスやら書けないタブーやらってのは出てくるんですけども。ずっと後代なら、タブーは少なくなりますが、それでも一定のバイアスは出ますし、ナマの歴史記述から遠ざかっていきます。いつの時代でもその時代なりの歴史記述はあっていいんです。史料の豊富さが後代の史料批判を容易にして、歴史学を真実に近づけますから。正史も稗史もひっくるめて、比較的に伝世史料が豊富なことが中国史の強みなんですけどね。
「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、 現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」 (E・H・カー『歴史とは何か』)というのは、有名な言葉ですが、過去は過去で「対話」が重ねられてきましたし、現代の歴史家は現代の歴史家で過去と対話すれば、いいわけです。仮に後継王朝がバイアス全開で前王朝をけなした史料を残したとしても、それはそれで重要な史料なんですよ。読まない人には分からないかも知れませんが。
ちなみに中国の歴史家もいろいろです。「崔杼、其の君を弑す」のエピソードとかを挙げる必要もないでしょうけど。それに直接的な武力による放伐以外にも「禅譲」という形式で王朝の正統性を受け継いでいることもあるので、新王朝が前王朝の業績を否定するとは限らないんですよね。その必要がない。前王朝の徳が衰えたから、新たな天命を受けた新王朝が建てられるという記述になります。筆者が勘違いしている「易姓革命」の思想とはそういうことです。だから記述対象の王朝の創始者やその先祖を美化する表現が正史の本紀の冒頭に出てきたりするわけです。また「前」王朝に対する反乱者を列伝の最後に叛臣伝や逆臣伝として置いていることもあります。正史が前王朝をけなして後継王朝の正当性を主張することのみを目的として編纂されているならありえないことでしょう。

 本当の歴史は多分勢力を持った王朝が武力で帝位を簒奪したという表現になるであろうから、現王朝にすればとんでもない濡れ衣であると、「稗史」として隅に追いやるほかはない。

具体的な例は挙げられないんですかね。というか、この筆者は中国の「正史」も「稗史」も読んだことがないと、もはや僕は確信してます。この人が「正史」を攻撃するのは、禅譲による王朝交代が実は武力による帝位簒奪だったはずで、正史にはそれが書かれていないという思いこみからですよね。どの王朝交代でも(仮に流血の少ない王朝交代でも)武力が背景にあることは、正史からでも充分に読み取れるんですけどね。

事実、その証拠を我々は正倉院の宝物殿などにおいて確認することができる。

正倉院の文物は僕も立派だと思うけど、この筆者はとりあえず北京と台湾の故宮博物院に謝ったほうがいいでしょう。

 そうしたことはお手の物なのである。しかし、1つ落とし穴がある。中国の(易姓革命という美名の下の破壊の)思想も(惨たらしい殺戮の)文化も日本には文献などが保管されていることである。

易姓革命」が美名だとは知らなかったです。「禅譲という美名」ならまだ分かるのですが。さて、日本の文献によって中国の思想や文化が証せるというなら、ぜひやってもらいたいものです。しかし「易姓革命」のことを書いてない日本の文献に「易姓革命という美名の下の破壊」を証明させるのには無理がありますね。中国の近現代の状況をけなした文章をいくら集めても、中国四千年の「改竄史」など証明できようはずもありませんよ。

締めの感想ですが、史料に触らない人の史論ってここまでひどいのかと。捨て台詞としては、正史の1巻でも読んでから出直してこい!くらいしかありません。

史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

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漢書 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

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正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

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「正史」はいかに書かれてきたか―中国の歴史書を読み解く (あじあブックス)

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支那史学史 (1) (東洋文庫 (557))

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あ、つけ足しの言い訳めきますが、秦郁彦笠原十九司も読んでおいたほうがいいですよ。
南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)

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南京事件 (岩波新書)

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