禹王碑オリジナル発見?

歴史的大発見か?謎の巨石に“中華民族の3大至宝”禹王碑の公算大!―湖南省衡山県(レコードチャイナ)

2007年7月20日、中国メディアは、湖南省衡山県福田鋪郷雲峰村の農民宅で発見された重さ10tの巨石が「禹王碑」である可能性が高いとの考古学者の鑑定結果を伝えた。

中国最古の石刻「禹王碑」は約1000年前の宋代に消失したといわれており、現代では宋代に作られた複製品が残っているのみ。

現代中国の文学者であり歴史家、政治学者でもある故郭沫若氏は、生前この「禹王碑」碑文の拓本を研究。碑文は禹王の功績を讃えているとの言い伝えがあり、その特異な字体の解明に没頭したが、3年の歳月をかけてわずか3文字しか判読できなかったという逸話が残っている。

郭沫若ってホント色々手を出してたのね。

禹王碑百度百科)

禹王碑は、衡山岣嶁峰で最も早く発見されたため、また岣嶁碑とも称し、岳麓山頂の禹碑峰の東に位置し、石の崖壁に刻まれ、幅は140センチメートル、高さ184センチメートル、碑文は9行で、行ごとに9字、およそ77字、寸足らずの楷書で「右帝禹制」と。字体は古くさくて弁別し難く、蝌蚪文であるといい、鳥篆であるという。宋の嘉定年間に模写されてここに刻まれた。1935年に石亭を建ててこれを保護し、亭のそばには清の欧陽正煥の書「大観」が石に刻まれ、湖南省重点文物保護単位となっている。
(中略)
早くは唐代に韓愈・劉禹錫が禹碑について詠んだ詩がある。韓詩にいう:「岣嶁山前神禹碑/字青石赤形樸奇/蝌蚪拳身薤葉披/鸞飄鳳泊拿蛟螭/事嚴跡祕鬼莫窺/道人獨上偶見之/我來咨嗟涕漣湎/千搜萬索何處有」。
劉詩にいう:「常聞祝融峰/上有神禹碑/古石瑯玩姿/祕文璃虎形」。
その実、両人は実物を見ていなかったが、ただ唐代には禹碑の伝説は疑いないものとされていた。明末の岳麓書院山長で嶁山先生と称された呉道行は『禹碑辨』を著していう:「『呉越春秋』を按ずるに、禹は衡山に登り、夢に蒼水の使者をみて、金簡玉字の書を授かり、治水の要諦を得て、石山の高所に刻んだ。禹碑の来歴は長く、千百年を経て伝える者もなく、道士がたまたまこれを見て、韓文公・劉禹錫が要領をえないまま詩詞のかたちにした。宋の嘉定壬申年(1212)、何致が南岳に遊び、樵夫にあって碑の所まで案内され、その文を始めて模写した。長沙を過ぎて、岳麓山頂にこれを転刻し、ひそかに蔵されること三百年あまり、明の嘉靖癸巳年(1533)に、潘太守がこれを捜しあて、土が取り除かれて、朝野は始めて再び虞夏の書をみることができた。」
上述の文章により禹碑の来源の大概を知ることができる。ただし禹碑の真偽は長らく衆説紛紜であった。
(中略)
明代の学者の楊慎曾が碑文を解釈して、その釈文を「承帝曰咨:“翼輔佐卿、洲諸與登、鳥獸之門。參身洪流、而明發爾興。”久旅忘家、宿岳麓庭、智營形折、心罔弗辰、往求平定、華岳泰衡、宗疏事裒、勞餘神禋、鬱塞昏徙、南瀆衍亨。衣制食備、萬國其寧。竄舞永奔!」とした。
(後略)

南宋のときにレプリカが作られて、現物はゆくえが分からなくなり、明代にレプリカが発掘されて、知られるようになったと。しかし楊慎曾の釈文ってあまり古代的な感じがしないんですけど。

衡山の巨石は千年前に失われた禹王碑であると専門家はいう(新華网)

早くも前世紀の八十年代から九十年代初めにかけて、衡山県福田鋪郷雲峰村では七組の「禹王碑」と疑われる巨石が発見されており、

お〜い、大丈夫なんでしょうな;(;゚Д゚)