メメント・モリ

俗に若者は死について考えないというけども、俺が死について最も深く考えていたのは十代のころではないかと思う。それほど考えなくなった今でも「あー死にたい、死にたい」ってのはけっこう日常的に口にしているな。なんて言うか、自分という檻にはとうの昔に飽き飽きしている。なんでこんな小さな精神の中に延々と囚われているものか。しかし不思議と世界についてはあまり飽きない。
だから1万年生きたとしてもまるで物足りないと思うし、今日明日死んだとしてもそれは檻からの解放のようにも思える。おそらく死を迎えるその日には、「あー死にたくない」と言うんだろうな。