「関氏家譜」トイレ紙記事に一言

学者真っ青!発見の「関羽の家系譜」、子孫がトイレ紙に使用...(レコードチャイナ)

1988年まで「関氏家譜」を代々受け継いできたのは、同省鄭州市官劉家村の関さん一族。一番若い後継者は関光周さんだが、彼の祖父である関喜貴さんが昔1人でこの家譜を読んでいるときに来客があり部屋を離れた。その間に、息子の嫁が部屋に入り子供のお尻をふく紙を探していると、この家譜を見つけて「ちょうどいいものがあった」とページを数枚破り、それで子供のお尻をふいたという。彼女は字が読めなかったのだ。「関氏家譜」は子供のお尻さえふかなければ完全な形で残っていたのだが…。

面白そうな記事ですけど、レコチャイの小さな誤訳が、地理的には数百キロの差を生んでいる悪寒。

南阳邓州发现关羽家谱 曾被当卫生纸(图)(2)(新浪财经)

早在1988年,《南阳日报》就报道了《关氏家谱》在地名普查中被发现的消息,发现地在邓州市构林镇官刘家村关营自然村,这部家谱被称之为“奇书”。从那时起,刘殿信开始关注起这部“奇书”。

1992年2月11日,大年初二,刘殿信和构林镇档案员李玉旺以及另一位知情人郭朝石,在当时的村干部刘殿秀的陪同下,骑着自行车来到关营找《关氏家谱》的收藏人关景堂。

接待他们的是一位青年,叫关光周,是关景堂的儿子。关光周说父亲去邻近的一个村庄走亲戚去了。刘殿信等人在说话之间,关营村民小组的干部也赶到了。刘殿信从村民小组干部的口中了解到,这部《关氏家谱》曾经遇险:

《关氏家谱》是关光周的爷爷关喜贵保存下来的。关喜贵读过私塾,一直低调做人,偶尔把这本老书从黑暗的墙角处拿出来翻看一阵子。有一天,他正翻阅时,邻居有急事叫他出去。巧的是,这时他的小孙子刚拉完肚子,不识字的儿媳妇正在找东西给小孩儿擦屁股,看到书上的绵纸相当不错,随手扯了一张又一张。关喜贵回来后,痛心疾首,所幸,儿媳撕掉的是封底和后面的部分。关喜贵后来说:“一边是老祖宗,一边是小孙子,这书倒真是‘承前启后’……”

中文記事で確認できるように、関さん一族が住んでいるのは、「邓州市」(河南省鄧州市)であって、「郑州市」(河南省鄭州市)ではありません。まあ混同しやすい漢字で、僕も間違えたことあるんで、強調しておくんですけど。たぶんもとの記事の発信元が鄭州電(大河网)だったんで、翻訳した記者が勘違いに気づかなかったんでしょう。

ちなみに「関氏家譜」は四種類ほど伝わっているとか…。
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-XGZZ199705012.htm
鄧州市の「関氏家譜」はいちばん新しい発見で、これ一本しかないんでしょうね。もーたいない。