「異民族」と光栄

ネット上の三国ばなしに耳を傾けていると、孟獲於夫羅といった武将やその属する集団について、なんの屈託もなく「異民族」と言っている人に出くわすわけね。
「異民族」という場合、自民族に対する異民族か、ある民族に対する異民族か、どちらかのニュアンスでしかありえない。日本語話者のばあい、前者のニュアンスで話している人は比較的少ないだろうから、多くは後者のはずだ。後漢の末から三国時代にかけて、いわゆる中原(黄河渭水流域)に住んでいた人々を「漢民族」と呼ぶには、僕には多少の屈託があるが、とりあえずそういう実態を仮構しよう。孟獲於夫羅といった人物に代表される集団にも民族としての実態があるものとしておく。現代の日本語話者の多くにとって、かれらはどちらも「異民族」のはずである。しかし「漢民族」に対する孟獲集団や於夫羅集団を「異民族」とみる視点はあっても、その逆はほとんどみられない。日本語話者の「漢民族」に対する思い入れの強さ、悪く言えば過剰同一視が見てとれる。
だがこういうニュアンスでの「異民族」という言葉の使い方はなぜ生まれたのか。それはもとを正せば、戦後の東洋史学が生んだのだろう。かつての那珂通世のように「夷狄晉を亂す」とも言えず、桑原隲蔵のように「殺伐野蠻な塞外種族」などとも言えない時代がやってきたのだ。しかし「漢民族」中心の考えは抜けず、無難な言い換え語として「異民族」が選ばれた。
こんな薄っぺらな言い換え語は20世紀のあいだに消えるべきだったろうと、僕は思う。悪い意味でこういう用法が一般化してしまったのは、戦後の東洋史学の影響よりもさらに巨大ななにかがあった。光栄三國志シリーズである。東洋史なんてろくに知らない、歴史の概説書もあまり読まない人でも、孟獲が「異民族」であることは知っていたりする。光栄(現:コーエー)が三国志ファンを増やし、引いては東洋史や中国古典文学の裾野を広げてくれたことを、僕は一ファンとして多大な感謝の念を持っている。しかし影響が多大であるがために、同時に問題をも広げていることを指摘せざるをえない。