兵馬俑を製作した陶工の名

 円城塔の連作短編小説『文字渦』に始皇帝兵馬俑を製作した陶工についてフィクショナルなことが書かれていたりしますが、実際にはそうした陶工について、兵馬俑本体に刻まれるかたちで80人ほどの名が判明しております。
第一類:「宮」+名パターン
宮疆、宮得、宮朝、宮欬、宮丙、宮蔵などで、「宮水」という秦中央のレンガ焼造の役所に所属していた人々です。
第二類:「右」+名もしくは「大」+名パターン
右亥、大遫などで、「右司空」や「大匠」といったこれまた秦中央の役所に所属していた人々です。
第三類:地名+名パターン
咸陽衣、咸陽危、咸陽野、咸陽賜、咸陽午、咸陽笥、咸陽高、咸陽秸、咸慶、咸処、咸行、咸路、咸敬、咸文忌、咸木、檪陽生、檪陽重、臨晋䓙、安邑口などで、「咸陽(咸)」「檪陽」「臨晋」「安邑」といった出身地名とともに名が残っている人々です。
第四類:それ以外
越、三庚、甲丁など、上記にあてはまらない人々です。