邪気眼使いの喜ぶ中国の名剣

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あるいはこのへんの記事の焼き直し。
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『釈名』によると、剣は撿である。撿を防いで常ならざることからきている。『管子』のいうところでは、むかし葛天盧の山から金を掘り出して、蚩尤がここから剣と鎧をつくりだした。これが剣の始めである。『周官』によると、桃氏が剣をつくった。(中略)そののち楚に龍泉、秦に太阿・工市、呉に干将・鏌耶、越に純鈎・湛盧・豪曹・魚腸・巨闕の諸剣があった。漢に高祖の斬虵剣があった。魏に文帝の飛景・流彩・華鋒の三剣があった。呉に白虹・紫電・辟邪・流星・青冥・百里の六剣があった。みな陸では馬や牛を断ち、水では鴻や雁を撃ち、敵に当たっては甲や盾を斬ったという天下の名器である。(後略)
『初学記』巻22剣第2