我が内なる加藤智大3

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
──坂口安吾堕落論
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42620_21407.html

後藤さん。警察官として、自衛官として、俺達が守ろうとしているものってのは何なんだろうな
前の戦争から半世紀。俺もあんたも生まれてこの方、戦争なんてものは経験せずに生きてきた
平和
俺達が守るべき平和
だがこの国のこの街の平和とは一体何だ?
かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。それが俺達の平和の中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な代価を余所の国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の平和
そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺達の仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ
あんたが正義の戦争を嫌うのはよく分かるよ。かつてそれを口にした連中にろくな奴はいなかったし、その口車に乗って酷い目にあった人間のリストで歴史の図書館は一杯だからな
だがあんたは知ってる筈だ。正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘吐き達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ
戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか
その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると
罰? 誰が下すんだ。神様か
この街では誰もが神様みたいなもんさ。いながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。何一つしない神様だ。神がやらなきゃ人がやる。いずれ分かるさ。俺達が奴に追い付けなければな
──機動警察パトレイバー2 the Movie
http://homepage1.nifty.com/~yu/p/p2.html

の続き。
加藤君は「」や英雄でもなければ、「キチガイ」でもない。
あの秋葉原の殺人犯って、案外、フツーの人だね。はてな匿名ダイアリー

秋葉原事件についてアキバ系やゲームやナイフやホコテンに原因を求めるような議論に見るべきものは少なく、派遣問題や世代間格差や貧困に踏み込んだ論考のほうが読みごたえがある。
【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式(何かごにょごにょ言ってます)
秋葉原通り魔殺傷事件(その9)「加藤の乱」就職氷河期世代の叛乱→追記あり天漢日乗
状況は「希望は、戦争」でもまだヌルかったわけで、秋葉原事件に「国民全員が苦しむ平等」などみるべくもない。殺す側も殺される側もポストバブル世代だ。

しかしその認識でもまだ何かが足りないと思う。
アキバもゲームもオタク的趣味のいずれも、加藤君を癒しきることはできなかったわけで、そこは忘れてはならない。アキバは派遣や世代間格差やもろもろの社会と政治に敗北したのだ。敗北の絶望を認めなければ、俺たちは正しく堕ちきることができない。俺が加藤君を内部化するというのは、そういうことだ。