項羽神
趙翼『陔余叢考』巻三十五より
顧寧人(顧炎武)の『日知録』によると、六朝のときに呉興の項羽神が最もあらたかであった。『宋書』の孔季恭伝を引くに、先だって呉興では頻繁に太守が亡くなっていて、「項羽神が卞山王となって、郡の役所で政治をおこなっているのだ。二千石(太守)がやってくると、いつも太守を避けているのだ」と噂された。『南斉書』の李安民伝によると、太守が郡にやってくると必ず牛にくびきをつけて祀った。李安民は仏法を奉じていたので、神に牛を与えず、木靴を履いて役所にあがり政治をとった。また役所に八関斎を設けると、牛は突然死し、李安民もまた亡くなった云々。当時の憤れる王の威霊はこのようなものであった。しかもこのふたつの事例だけではないのである。
(以下略)
やっぱりたたり神。