東女国

肝冷斎さんの日録から女人国伝説①

「女人国」はもともとチュウゴクの記録に現れてくる国ですが、この女人国には二つあります。①東女国と②西女国と区別されます。まずは、①の東海海中にある女人国(これが女護が島伝説の元となった)

中国の記録をもとにするなら、残念ながらこれは間違いです。
Wikipedia羅刹国の項

羅刹国(らせつこく)は、近世以前の日本人が南方(もしくは東方)に存在する信じていた架空の土地(島)の名称である。東女国(とうじょこく)とも書かれ、後には女護ヶ島伝説とも結びついて、女人島(にょにんじま)などとも呼称された。

これが東海の女人国ですけどね。東女国ともいうことが確かに書かれていますが、「近世以前の日本人が…信じていた」ことに注目。

対して、中国の記録に表れる「東女国」は、チベットにあった国です。
東チベットを旅して(神楽坂建築塾)

紀元前、現在のインドのラダックからチベット北部高原にまたがり、シャンシュンという地方があり、スブラン氏という有力一族があった。このスブラン氏が玄奘の『西域記』に伝えられる「東女国」である。またスブラン氏は、後に巨大王国となる吐蕃王国をつくるスプ氏と婚姻関係を結んでいる。
 時を経てスブラン氏の一部が東へ移住し、現在の四川省阿パ蔵族羌族自治金川周辺にギャロン(「女王の谷」を意味する。唐書に伝えられる「東女国」のこと)を作った。主な宗教はボン教だったとされる。
 東女国は隋・唐時代に漢民族から「諸羌(その他もろもろの羌族)」のひとつとされ、漢王朝に帰順していた。

漢王朝に帰順」って言い方はちょっと問題ありなんですけど、東女国はそういう国なのです。

中国の正史を見ていきましょう。
まずは『隋書』巻83列伝第48。

女国は、葱嶺(パミール)の南にあり、その国は代々女を王とした。王の姓は蘇毘、字は末羯といい、在位二十年。…

お次は『旧唐書』巻197列伝第147。

東女国は、西羌の別種である。西海中にまた女国があったので、東女と称した。習俗として女を王とした。…

最後、『新唐書』巻221上列伝第146上。

東女はまた蘇伐剌拏瞿咀羅といい、羌の別種である。西海にまた女を王とするものがあるので、「東」と称してこれを区別する。東に吐蕃・党項・茂州と接し、西は三波訶と続き、北は于闐(ホータン)とへだて、東南は雅州羅女蛮・白狼夷と続いた。…

では、西海中にある女国(西女国)とはどこなのか?という疑問が涌いてきますが、これはよく分かりません。大食(アラビア)の西北にあることになってますけどね。まさか、アマゾネス?