「アンチ」の論理

「嫌いなら読まなきゃいいのに」
「嫌いなら見なきゃいいのに」
「嫌いなら行かなきゃいいのに」
それだけなら至極ごもっともです。快不快原則から言って、不快なものから逃避し関わらないようにするのは生物的に正しい。
それでも僕らが何かに文句を垂れたり、批判したりするのは、なんらかのガス抜き・ストレス解消・代償行為の部分を除けば、批判対象に何らかの期待をしているからですよ。心底嫌っていて、対象に何の期待もしていないなら、わざわざそんなことに時間を使いません。人生の浪費ですから。
批判が対象にストレートに受け止められるとは限りませんが、対象に批判側の意見も考えてもらって少しでも改善・改良されるなら、批判も意味があるでしょうね。
「反〜」「アンチ〜」という言葉(自称してる場合もありますが)は、どうも恣意的なレッテルとして使われすぎているように思います。「アンチ」が対象を感情的に嫌っているだけとは限りませんよ。