サハリン

『清史稿』とかに「東海薩哈連部」とか出てきて、「さはりぇん」?「サハリン」?とか思ってたんだけど、

ウィキペディアの「樺太」の項。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA

また、明治時代辺りまで、ロシアなどで薩哈嗹(サガレン)と呼ばれていた。
「サガレン」・「サハリン」の名は、清の皇帝が3人のイエズス会修道士に命じて清国版図測量中に黒竜江満州語名・サハレン・ウラー)河口対岸に島があると聞き、満州語で、サガレン・ウラ・アンガ・ハタという名で呼んだことに由来する。ただし、清は樺太の存在を認知したが、清国領とは見做さなかった。

アムール川黒龍江)がサハレン・ウラーらしいので、「東海薩哈連部」は黒龍江流域の部族と考えたほうが妥当か。

『清史稿』太祖本紀に

秋七月,禁五大臣私家聽訟。命扈爾漢、安費揚古伐東海薩哈連部,取三十六寨。

後金の天命元年(1616)7月に、清太祖ヌルハチが、部下の扈爾漢と安費揚古に命じてサハリンを討たせた…だったら面白かったのに。
モンゴルが骨嵬を討って以来のことになるし。
このころの地理感覚もよく分からないけど、残念。