趙翼『陔余叢考』巻十五 隋の煬帝の大業十三年(617)、突厥が劉武周を定楊可汗に立てた。『質実』は、定楊は郡名であると言う。調べると、楊は国姓であり、定は武力で平定するの意味で、郡名ではないのである。翌年、郭子和が楡林で起兵して北のかた突厥につ…
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