「愛」字の兜

徳川家康が馬印を「厭離穢土欣求浄土」としたことと、かれが関東に移されて「江戸」を居城としたことが無関係とは思えない安土桃山な今日このごろです。織田信長が斎藤氏の稲葉山城を落として「岐阜」と改めたのは、古代中国の「岐山」と「曲阜」から取っていたりする。そういう時代なのであります、たぶん。
さて今年の大河の直江兼続君ですが、「愛」字の兜で知られています。この「愛」はもちろんラヴでもなければ、アガペーでもありません。むしろどちらかといえばエロスです。主君の上杉氏が毘沙門天信仰から「毘」字の旗印を掲げたように、直江兼続愛染明王から「愛」字を取ったとするのが、多数説です。愛染明王は仏教諸神のなかでも愛欲を肯定しちゃうカミサマですから、じつは直江兼続はラヴ&なんとかのヒッピーなのです。俗世の色や欲や煩悩を大らかに肯定しながら、現世の救済を確信していたに違いないのです(笑)。
まじめに考えれば考えるほど、直江兼続のカッコいいイメージは崩壊していくわけですが、中国史屋は直江兼続を無視できないのです。なにせ日本に伝世する宋版『史記』は直江兼続所蔵のものだったわけですから。
ちなみに直江兼続が宋版『史記』を朝鮮から持ち帰ったというのは怪しいらしいです。
http://www5.omn.ne.jp/~jidaikan/iwamoto.html