我が逃走(時局演説)

歴史の発展をその流通する情報の総量で考えたときに、これまで等差級数的増大にすぎなかったものが、等比級数的増大に転換したとするならば、これを「情報革命」と呼ぶに異論は少なかろう。農業革命・産業革命に次ぐ情報革命の時代に生きる歴史屋(われわれ)は、歴史をリソース化し、パッケージ化し、アイコン化するだろう。「吾が生や涯あり、而して知や涯なし」(『荘子』養生主篇)。歴史は未来に向けて過去の資源を発掘し、放出し、爆発させるであろう。過去の資源は無限であり、そこから生まれる知もまた無限である。シンギュラリティと知のユートピアはいま歴史屋の隣にあって微笑んでいる。さあ、あらゆる既成の偏見と先入主を捨て去り、歴史の産み出す知と向き合おうではないか。その無限の沃野で遊ぼうではないか。そこにわれらの新たなる生存圏が…。
←何やら意味不明のアジ演説を始めた模様です。しばらくお待ち下さい。がーがーぴーぴー、ぷすっ。