戦前のことをゴチャゴチャと語る

なんで文民統制っていちいち言わなければならないかというと、第二次大戦以前の日本では、全く真逆の統帥権の独立ってのがあったから。統帥権の独立って何かというと、軍隊は天皇の指揮権に服していればいいのであって、文民政府のいうことは聞かなくていいよという当時の帝国憲法から出てきた理屈のこと。
だから、「満州事変」や「支那事変」(日中戦争)のとき、政府が事変の非拡大を望み、外交交渉で解決したいと思っても、現地の軍の拡大派の暴走でおじゃんにされてしまい、統帥権の独立は憲法で保障されているから軍のやることに政府は容喙するなと正当化されてしまったわけ。
まあ満州事変のときの陸軍内部でも、東京の参謀本部と現地の関東軍では、事変の非拡大・拡大について意見の相違は大きかったし、日中戦争でもまた別に繰り返されたわけで、単純に軍と文民政府の対立ってだけでもないけど、そういう軍人の暴走は起こりうるから、その反省の上に立って「文民統制」は強調されるわけ。佐藤さんは、分かってるのかな?

少し話の焦点を変えて、「満州事変」や「支那事変」のとき、日本の世論はどうだったかというと、マスコミはおおむね事変拡大を煽り、世論も総体としては事変拡大を支持したということ。むろん反戦派も少数ながらいたけどね。丸山真男ではないが、んなものは免罪符にはならん。反戦派には戦争を阻止できなかった責任が…(以下略)。
毛沢東が「悪いのは日本の軍国主義者であって、日本の民衆はやはり被害者なのだ」と言ったとか言わんとか、その発言が政治的に正しいかどうかは別として、歴史として突き詰めれば間違いだと思う。日本の戦前の体制が民主主義だったかどうか、日本型ファシズムとは何か、踏みこまないと論じられなくなるけど、少なくとも当時の軍も政府も国民世論を全く無視して動けるような体制ではなかったのは確かだと思う。
よく誤解している人がいるけど、ファシズムって民主主義の子なんだよね。ファシズムの中でも最も先鋭なナチズムが当時最も民主的と言われたワイマール体制から生まれたのは学問的に言われてるけど、一般にはどう認識されてることやら。ファシズム=独裁とか勘違いしてないかな。
日本型ファシズムはヨーロッパのファシズムとは違うといわれることもあるけど、上からの統制ばかりというわけでなくて、国民世論を政治に反映する一定の仕組みはあったと思うのね。民主主義として不完全だというなら然りだけど、民主主義は永遠に不完全であって、それは程度の問題だと思う。戦前の日本には、国民意識・国民世論・大衆・マスコミ・ポピュリズム・不完全な民主主義、いずれもがあったと思う。
……とここまで論じて、別に「一億総懺悔論」を唱えたいわけでもなく、戦争責任を論じたいわけでもない。

こういう
http://d.hatena.ne.jp/yamadama/20070824
朝日を揶揄する文章を読みながら、あっこりゃ朝日の言ってるほうがまだマシだわとか思っちゃったんだわさ。
たぶん戦後歴史学や朝日に代表される進歩文壇に対する先入見があって、朝日なら戦前は暗黒社会で民主主義でないと主張するに違いないとこの筆者は思ったんだろうね。ファシズムは民主主義やポピュリズムとの親和性が高いって議論は、むしろ戦後史学や進歩派の主張だと思う。大正デモクラシーを無視する戦後の教科書もまずないよね。

同じく朝日を揶揄する文章でもこういうの
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html
読むと、すごくユニークだと思った。「戦前の日本が過剰にリベラル」、うわっ、よく分からないけど、すっごい違和感。と思ったら、経済の古典派自由主義のことをリベラルって呼んでるのか、なるほど。