驪靬県の物証出る

中国のローマ人ファンのみなさん、陳湯ファンのみなさん、そして田中芳樹ファンのみなさん、注目のニュースですよ〜。と、煽っておいて大した話ではないんですけども…。
県令の墓誌銘ではじめて「驪靬県」の実物の証拠が確認された(中国网)
っていうんですよ。
32年前に甘粛省武威市で出土した隋の驪靬県令・成蒙の墓誌銘が永昌県の関連部門で最終確認され、驪靬県の物証だってことになったらしいですよ。
なんで32年も前(1975年)に出た墓誌が今ごろニュースになったんでしょうか。しかも墓誌の銘文じたいは1993年第10期の『文物雑誌』上で公表されてるらしいんです。
記事をよく読むと、どうも銘文じたいは「力乾県」になっていて、隋の力乾県令の墓碑として長らく捉えられてきたんじゃないでしょうか。それが音通の「驪靬県」の証拠だってことになったみたいです。
まあ、この発見じたいは「中国のローマ人」説を直接に補強することにはならないでしょうけど、しかし珍説に一ページを書き加えることには違いないでしょうね。