僕らはいろいろ忘れてる

重慶爆撃で日本政府提訴へ
http://www.ehime-np.co.jp/news/kyodo/20060305/ky2006030501002388.html
なんだそうである。
ぼくらは広島・長崎を覚えていても、重慶を忘れている。
加害者は忘れてしまっても、被害者は忘れない。
都合の悪いことは忘れてしまっているから、言葉はけっきょく普遍性をもたない。
因果応報であるかのごとく口先で合理化しても、殺す者−殺される者は偏在し、非対称的に存在してしまっている。
この世はすべての者にとっての苦界よと諦念を並べても、ぼくらは殺し殺されながら、倖せに生きることをあきらめきれない。

少し古いが、こういう論があるのを見た。
http://teo.cocolog-nifty.com/column/2004/07/post_54.html
いや、「広島長崎東京神戸・・・」、「今になって」訴えてかまわないと思うよ。
戦略爆撃に対する批判は、「日本の罪をあげつらおう」というばかりではない。
そもそも前田哲夫『戦略爆撃の思想』だって、ゲルニカ重慶ドレスデン・広島・長崎を検証したうえでその思想を批判しているわけだから。
戦略爆撃のありかたは、直近のイラク戦争ファルージャにも確かにつながっている現代の問題なのだから。

さておき、ウィキペディア戦略爆撃の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%88%86%E6%92%83
「アジアでは、日中戦争での旧日本軍による重慶爆撃から始まったとされる。」
これは間違いではないのかな?
アジア最初の戦略爆撃は錦州ではなかったかな?
南京渡洋爆撃とかも忘れられてるよね。僕らはいろいろ忘れてるんだと思う。