唐代に現れた漁火

「漁火」は夜間の漁で魚を集めるために焚かれる火のことだが、「漁火」の語が現れるのは唐代のこと。
『全唐詩』を引くと、
趙冬曦(677-750)の「和尹懋秋夜游𥖹湖二首」に「鶴聲聒前浦,漁火明暗叢」 といい、
錢起(722?-780)の「送元評事歸山居」に「水宿隨漁火,山行到竹扉」といい、
韓愈(768-824)の「陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首因獻楊常侍」に「山樓黑無月,漁火燦星點」 といい、
元稹(779-831)の「答姨兄胡靈之見寄五十韻」に「雨摧漁火燄,風引竹枝聲」といい、
姚合(779?-855?)の「題河上亭」に「岸莎連砌靜,漁火入窗明」 といい、
周賀(生没年不詳)の「潯陽與孫郎中宴迴」に「潯陽渡口月未上,漁火照江仍獨眠」といい、
許渾(791?-858?)の「新興道中」に「夜榜歸舟望漁火,一溪風雨兩巖陰」といい、
薛逢(生没年不詳)の「送慶上人歸湖州因寄道儒座主」に「夜雨暗江漁火出,夕陽沈浦雁花收」といい、
劉滄(生没年不詳)の「江行夜泊」に「岳陽秋霽寺鐘遠,渡口月明漁火殘」という。
漁火を用いる漁法が遅くとも8世紀には現れていたと言えるだろう。