秦の敬公

 以下の話にオチはないし、未知の情報は含まれない。
 『史記索隠』秦本紀に「又紀年云簡公九年卒,次敬公立,十二年卒,乃立惠公」とあり、同秦始皇本紀に「王劭按紀年云,簡公後次敬公,敬公立十三年,乃至惠公」とある。
 史記三家注のひとつ『史記索隠』が『竹書紀年』を引いていうには、秦の簡公と恵公のあいだに敬公という君主がいたとされている。在位年数は12年とも13年ともいう。秦の敬公については、上に挙げた以外の史料は現時点で確認されていないはずだ。