なぞの高昌王劉龍虎

顧炎武『歴代宅京記』巻之十二「鄴下」の「右宮内」の条の鄴南城の東魏北斉の邸宅を列挙した部分に、「高昌王劉龍虎宅」というのが現れる。
この高昌王というのがトルファンの高昌王であるなら、当時の高昌国はとうに麴氏の政権になっており、劉龍虎というトルファン王がいたはずがない。そもそも東魏北斉の首都であった鄴にトルファン王の邸宅があったと考えるのも妙な話だ。では東魏北斉の諸侯・功臣に劉龍虎という人物がいたのか。『北斉書』や『北史』に劉龍虎という人物は見えない。元氏でも高氏でもなく、王にまで封ぜられた人物が全く正史に見えないというのも不思議な話だ。なにかの間違いではないのか。
ちなみに『資治通鑑』巻一百六十三梁紀十九の大寶元年九月の条に「郢州司馬劉龍虎等潛送質於僧辯」という記述があるが、これは関係なさそうである。