始皇帝の公子・公女の墓

1976年の10月に秦始皇帝陵の東城外350mの上焦村付近で17基の甲字形陪葬墓が発見され、そのうちの8基が発掘されています。これを上焦村陪葬墓、あるいは臨潼上焦村秦墓と呼びます。

第7号墓:墓主は男性で、年齢は30歳前後、頭・胴体・四肢が分離していた。
第10号墓:墓主は男性で、年齢は30歳前後、頭・胴体・手・足の骨が分離しており、柩の中に逆さまに置かれていた。
第11号墓:墓主は女性で、年齢は30歳前後、骨格は完全で、仰向けで足を伸ばしており、上下の顎の骨が左右にずれていた。
第12号墓:墓主は男性で、年齢は30歳前後、頭骨は柩の蓋の上に置かれており、肋骨やその他の骨は柩の中に置かれていた。
第15号墓:墓主は男性で、年齢は30歳前後、頭・胴体・四肢が分離しており、胴体・四肢は柩の蓋の上に置かれ、頭骨は柩の外の土中にあり、頭の右のこめかみの上には銅鏃1本が刺さっていた。
第16号墓:墓主は男性で、年齢は30歳前後、上半身の遺骨は柩の中にあり、頭骨は柩の蓋の上にあり、下肢の骨は土の中に埋まっていた。
第17号墓:墓主は女性で、年齢は20歳前後、頭・胴体・下肢が分離しており、さらに左脚がすねの骨と分離していて、両腕を伸ばして腹ばいになっていた。
第18号墓:銅剣ひと振りが見つかっているが、人骨が見えないため、衣冠冢という説も出ている。

8基の墓の中から、7体の遺骨が出土しており、五男二女のうち、6人の遺骨に異常な状態が見られたわけです。これらの墓からは200件あまりの副葬品がみつかっているのですが、その中に「栄禄」「陰嫚」の字の刻まれた銅印章がありました。
埋葬の状況から、被葬者7人は秦の始皇帝の死去後に二世皇帝胡亥の命により殺害された公子・公女たちとするのが有力になっています。「栄禄」は公子の諱、「陰嫚」は公女の諱と見られています。

http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-WEBO199602013.htm
http://www.henan100.com/news/2014/327031_3.shtml
http://cul.sohu.com/20091012/n267283411.shtml