李信と章邯と心強さと

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史記』を見るかぎり、李信と章邯のあいだに深い関係を見出すことはできないのだけれど、交際がなかったという証拠もやはり見出せないわけで、そこは「繋がりを求めてしまうのが人の性(サガ)なのさ」と嘯けばいいわけである。
ところで亭主は「『史記』張耳陳余列伝で趙王武臣を殺した李良って李牧の関係者だよね」という妄想を抱いているのだが、李牧の三子を汨・弘・鮮とし、孫を広武君李左車とする『新唐書』宰相世系の記述と比べたところで、双方にどの程度に信憑性の差異があるものか判断できないでいる。
李良が逃げ込んだのが章邯のところというのが非常に示唆的というか、なんというか。
あ〜やっぱ「カンニング・スタンツ」おもしろいよね。
以上、亭主は詭弁に自覚的であるので、ツッコミは受け付けませんw。