Nスペ「中国文明の謎」第1集感想

14日放送のNHKスペシャル「中国文明の謎 第1集 中華の源流 幻の王朝を追う」を録画でようやく見たので、感想めいたことを書いておきます。
http://www.nhk.or.jp/special/china-civilization/index.html
ツッコミどころが多かった放送ですが、ことに中井貴一の芝居くささは、もう少しどうにかならなかったんですかね……(そこかよ!)。さて、気を取り直して本題へ行きましょう。

1.二里頭遺跡夏王朝の都説
亭主は河南省偃師市出土の二里頭遺跡夏王朝の都とみなすには慎重派なのですが、そのへん多弁を労するのは面倒なので、いきなり投げときます。

図/竹内康浩『世界史リブレット95 中国王朝の起源を探る』(山川出版社)P40-41

図/竹内康浩『世界史リブレット95 中国王朝の起源を探る』(山川出版社)P42
二里頭遺跡は紀元前1600年前後のきわめて重要な都市遺跡ではあるのですが、日本の研究者には夏王朝の都とみなすには慎重な史家がまだ多いと思います。岡村秀典氏などその道の第一人者で、二里頭=夏王朝を認めている研究者もいますが、『史記』などの文献史料上の夏をそのまま信用して論じているわけではなく、一定の留保つきで認めているのです。今回のNスペ放送では、そのへんの屈託が全く感じられなかったですね。
あと『史記』『竹書紀年』などの伝世史料の記述どおりなら、夏王朝の都は陽城・斟尋・商丘・老丘・西河などを転々としており、仮に二里頭遺跡夏王朝の都だとしても、二里頭遺跡夏王朝後期の都のひとつとしかいえないのですが、放送をみてはじめて二里頭遺跡を知った人はそういうふうには解釈しないでしょうね。

2.宮廷儀礼と「龍」
今回の放送の裏テーマは、宮廷儀礼と「龍」だったわけですが、それを言うために恣意的に考古遺物を選抜しています。テーマに合わないものは切り捨てられ、取りあげられないわけです。3つの文物が放送で取りあげられてましたね。

まずトルコ石のモザイクタイルで表現された「龍」ですが、2002年に二里頭遺跡から出土したもので、中国では「緑松石龍形器」と呼ばれています。龍を象った古い器物は内モンゴル遼寧省新石器時代の遺物が出土していて、起源は紅山文化だと思われています。龍をシンボルとする北方の文化を二里頭が取り入れたという図式です。これが本当に龍なのかという疑念は、浮かばなくもないですが。
このモザイクタイルから連想されるのは、一昨年昨年に上野・太宰府・奈良の国立博物館でおこなわれた「誕生!中国文明」展で展示されていた「動物紋飾板」です。フォルムは異なりますが、二里頭出土でトルコ石となると、これのお仲間と言って差し支えないと思います。

図/『誕生!中国文明』図録P26
正式には「獣面文銅牌」というらしいですが。

図/岡村秀典『夏王朝 王権誕生の考古学』(講談社)P222
林巳奈夫氏は「双身蛇で獣面紋とはいえない」として「獏(バク)」説を唱えていましたが、このへんいろいろな説があるようです。

図/林巳奈夫『神と獣の紋様学』(吉川弘文館)P116-117

次の「銅爵」については、短く。飲酒儀礼に使われていた青銅器であることは、異論を聞かないので、ツッコミも思いつかないのですが。再現映像とかで儀礼を見せられると、学者の推定・想像ですとは強調しておきたくなります。

最後に「玉璋」。玉璋とはなにかといいますと、聖徳太子が持っている笏と似たような用途で用いられていた儀礼用玉器です。のこぎり刃のギザギザみたいな部分が、放送では「龍」だと言っていましたが、本当に「龍」なのかは分かりません。

図/岡村秀典『夏王朝 王権誕生の考古学』(講談社)P140

図/『誕生!中国文明』図録P35

このころの玉器にもいろいろあるのですが、今回の裏テーマに沿ってないものは無視されています。玉器は長江下流域の良渚文化起源のものが多いのですが、それが中原の二里頭に伝わって取り込まれてます。玉璋もそうした起源の玉器のひとつです。

図/『中国の歴史01 神話から歴史へ』(講談社)P290
二里頭のころの中原で玉璋にのこぎり刃のギザギザ(龍?)の造型を加えられて、その造型文化が中国大陸の広い範囲に文化輸出されたという流れです。
ええと、まさかと思うのですが、今回の放送をみて二里頭が中国全土を支配したという誤解をした人はいないでしょうね。そんな誤解を生みかねない描写を見たような気がするので。

二里頭遺跡1号宮殿のスペースを宮廷儀礼のための場とみるのは有力説なんでしょうかねえ。まあ蓋然性の高い推定としては亭主もこれを支持しますが、確実な根拠があると思われると、もにょるかもです。

図/岡村秀典『夏王朝 王権誕生の考古学』(講談社)P127

3.余談
大体言い尽くしたので、あとは余談ですが。
陶寺遺跡で殺害された女性について、反乱で殺害されたというのは、踏み込みすぎじゃないですかね。外寇やら権力抗争やらの歴史上ありがちな理由を排除できる理路が分からないです。なんですかね、奴隷社会論的イメージの暴走ですかね。