おもしろ耶律楚材論文

CiNiiで公開されている論文、原田弘道「耶律楚材と萬松行秀」が面白すぎてツボにはまったのでご紹介。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007015003

まずは冒頭からかっとばしている。

父の予言通り金朝より元朝に仕え、世界に未だ曽て存在しなかった連邦共和国制による蒙古大帝国建設の礎を築くことになる。

耶律楚材(1244年死去)が生きていたころのモンゴル帝国を「元朝」(1271年〜)と呼ぶべきではないってのがまずあるが、そんなツッコミも些事に思えることがさらっと書いてある。モンゴル帝国が「連邦共和国」ですと!連邦制というならまだしもだが、共和国がついているのがすごい。どこが共和国なのだろう?個人的にはモンゴル帝国の中小のウルスの群体構造は遊牧封建制と呼ぶべきではないかと考えているが、さておき論文というものは、術語の定義に厳密に気を遣うものではないのだろうか。

楚材は中書令として補佐役に徹した。補佐役として重要なことは、他人と功績を競わないことだ。小さな不満、まだ目立ってはいないが組織全体に鬱積する問題点などを発見し修正するためには、特定の分野や機構に不利益を与えることも多い。從って、その事の成就が補佐役個人の功績となれば、たちまち反感反発が生じる。だから補佐役は常日頃から「決して功を競わぬ人」と信じられていなければならない。

この論文中「補佐役」ということばが何回出てくるのか、数えてはいないが、出てくるところみなこの調子である。ええと、これ歴史の論文だよね?PHPかプレジデントかなんかと勘違いしてないよね?

楚材はこのように政治家、行政官としても欠けたることのない人物。さらには人間としては悟りに徹し、慈悲の心の仏(神人)そのものであり、また学者、芸術家としてもすぐれていた。近隣諸国、或いは遠くローマにまで東方の神人(仏)として伝わっていたのも故なきことではないであろう。

くどいけど、これ論文だよね?論文に研究対象の人物をここまでべた褒め、崇拝するような評をつけるものなんだろうか?それに耶律楚材が漢文史料にしかみえず、ペルシア史料含む西方史料に見えないことは有名だと思っていたんだけど、なにかローマで新史料でも見つかったんだろうか?

いやぁネットで論文が読める時代って本当にいいもんですね(水野晴郎調)。